ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースって?
ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースを知らない人、そしてあまり詳しくない人のために。
1979年にアメリカのサンフランシスコで結成され、1980年にアルバム「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」でレコード・デビュー。ここからはヒット曲が出なかったものの、1982年に発表したアルバム「ベイ・エリアの風」からのシングル”ビリーヴ・イン・ラヴ”がビルボード最高8位を記録し、一躍有名になる。
そして1983年、ビルボードアルバム年間売り上げ2位を記録するアルバム「SPORTS」が大ヒット。1985年には映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマ・ソング”パワー・オブ・ラヴ”で初のビルボード1位を獲得し、翌年発売のアルバム「FORE!」共々大ヒット。1980年代を代表するロック・バンドの1つとして位置づけられる。
その後人気も落ち着き、全盛期ほどの人気は無くなったものの、現在も精力的にアメリカ本土を回るライヴ・ツアーを続けており、現在ではR&Bや初期のR&Rの精神を受け継いだ正当派ロック・バンドとして根強い人気を誇っている。
1995年、ベーシストのマリオ・シポリナが脱退して、ジョン・ピアースが加入。2000年にはリードギタリストのクリス・ヘイズもツアー不参加(脱退?)を表明。現在はステフ・バーンズが代わりを務めている。
メンバー |
●ヒューイ・ルイス(HUEY LEWIS)
本名 ヒュー・アンソニー・クレッグ3世(HUGH ANTHONY CREGG III)
担当 リード・ヴォーカル,ハーモニカ
生年月日 1950年7月5日
出身地 ニューヨーク
身長 6フィート
彼が生まれて間もなくサンフランシスコ北部にあるミル・ヴァレーに移り住む。進歩的な考えを持つ両親は人種差別反対を唱えており、その為一家は黒人居住区に居を構えることになった。そこでこのバンドのルーツともいえる黒人音楽を身にしみこませて少年期を過ごしていったのだった。
12歳の時、母マグダのヒッピーかぶれが息子に悪影響を及ぼすと考えた父ジュニアは、彼を遠くの学校に入れてしまった。そのことが原因で両親は離婚することになる。息子の養育権について両親が法廷で言い争う姿は彼にとって大きなトラウマとなった。裁判官の出した結論は、すでに判断力を持っている息子自身に決断させるというもので、結局彼自身の判断で母親についていくことにし、転校することになった。
その後ニュージャージー州南部にある名門高校を卒業し大学の入学試験も受かった彼は、父の薦めでヨーロッパへ放浪の旅に出ることにする。ヒッチハイクで次の車を待っている間や一人きりの寂しさを紛らわすためにハーモニカを吹くことを覚え、ブルース・ハープを独学でマスターする。ヒューイ・ルイスのハーピストとしてのルーツはここにある。
帰国後、野球の奨学金を得て名門コーネル大学に入学しなおした彼は、大学2年の時に友人たちとロック・バンド「スリッパーズ・エルム」を結成したのを期に音楽の道にはまりだしていった。
大学を中退し、音楽で生きていこうと決めた彼は1971年、すでに地元のレコード会社であるファンタジーから2枚のアルバムを出しているカントリー・ロック・バンドの「クローヴァー(CLOVER)」に加入することになる。彼はこのころ名前を「LOUIS」から現在の「LEWIS」に改める。ちなみにこのバンドには、バンド解散後に「ドゥービー・ブラザース」に加入するジョン・マクフィーや、ザ・ニュースの一員となるショーン・ホッパーが在籍していた。クローヴァーでのヒューイ・ルイスの担当はハープだったが、数曲ヴォーカルも担当していた。
当時、クローヴァーのライバルといえるバンドが「サウンドホール(SOUNDHOLE)」で、このバンドには後にザ・ニュースのメンバーになる3人、ジョニー・コーラ、マリオ・シポリナ、ビル・ギブソンが所属していた。
1976年、エルヴィス・コステロなどを手がけたことなどて有名なシンガー兼プロデューサーのイギリス人ニック・ロウと、マネージャーのジェイク・リヴィエラに目を付けられ渡英することになった。ちなみにその縁で彼らもエルヴィス・コステロのデビュー・アルバムに参加している。
1977年にはマーキュリーからレコード・デビューを果たし、順風満帆かと思われたクローヴァーだったが、イギリス進出は失敗に終わってしまった。時はまさにパンク・ロック全盛期。彼らの音楽は受け入れられなかったのである。1978年、ジョン・マクフィーがドゥービー・ブラザーズへ加入したのを期にバンドは解散、サンフランシスコに戻った彼は新たなるスタートを切ることになる。
そして1979年、地元ミル・ヴァレーにあるクラブ「アンクル・チャーリーズ(UNCLE CHARLIE'S)」で毎週月曜日の夜に行われていた「マンデイ・ナイト・ライヴ」のセッション活動を通じて知り合ったメンバー12人と「アメリカン・エキスプレス(AMERICAN EXPRESS)」名義でフォノグラムと契約を結び、映画「栄光への脱出(EXODUS)」のテーマ(ボブ・マーレーの”エクソダス”という話もある)のディスコ・ヴァージョンであるシングル「エクソ・ディスコ(EXO-DISCO)」をイギリスでリリースする。がしかしレコードはまったく売れなかった。
その後、ジョニー・コーラ、マリオ・シポリナ、ショーン・ホッパー、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ達5人と「ヒューイ・ルイス・アンド・ジ・アメリカン・エキスプレス(HUEY LEWIS & THE AMERICAN EXPRESS)」を結成。そして、現在まで長く付き合っているマネージャーのボブ・ブラウンと出会い、彼の力でクリサリスと契約。バンド名を「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」に改め、1980年1stアルバム「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」をリリースすることになる。映画にも出演経験があり、最初は1985年の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でのカメオ出演。ダンス・パーティで演奏するバンドのオーディションをする高校教師という役柄で、主人公マーティに向かって拡声器でダメ出しをするのだが、注意してみていないと分からない。そして次は1993年「ショート・カッツ」に出演した。前回とは違い今度は重要な役柄で、キャスト・ロールはハリウッド・スターと並んでいる。他にも1998年の「疑惑の幻影」に出演している。
奥さんは元HLNのマネージャーだったシドニー。彼女との間に1983年生まれのケリー、1985年生まれのオースティンと二人の子供をもうけた。
趣味は、野球、園芸、ゴルフ、川釣りなど多彩である。レーシング・カーまで所有しているそうだ。
好きな俳優はジェシカ・ラング。好きな映画は「ラスト・ショー」。
●ジョニー・コーラ(JOHNNY COLLA)
本名 ジョン・ヴィクター・コーラ(JOHN VICTOR COLLA)
担当 サックス、ギター、ヴォーカル
生年月日 1952年7月2日
出身地 カリフォルニア州サクラメント
身長 5フィート8インチ
音楽好きの家族の影響で、幼い頃からカントリー&ウェスタン、R&B、ビートルズ、ビーチ・ボーイズなどを聞きまくっていた。これが彼の音楽のルーツである。
サックスを始めたのは高校時代。独学でマスターした。
1970年に「サウンドホール」というバンドに参加する。ヒューイ・ルイスやショーン・ホッパーの在籍していたバンド「クローヴァー」とはいいライバル関係だった。1970年代後半にサウンドホールが解散した後、地元のクラブ「アンクル・チャーリーズ」にてヒューイ・ルイス達と出会い、ザ・ニュースを結成する。ギターを弾いてなおかつサックスまでこなす器用な彼は、バンドの大部分の曲でコーラスのアレンジを担当している。例にあげると”バッド・イズ・バッド”だ。ヒューイ・ルイスが”バッド・イズ・バッド”を仕上げた時は速いテンポの曲だった。だが、ジョニー・コーラが現在のコーラスを考えだし、コーラスにあわせるために曲をスロー・テンポにしたということがあった。
彼は所属するザ・ニュースの他に自分のバンド「ジョニー・コーラ・アンド・ザ・ラッキー・デヴィルス(JOHNNY COLLA AND THE LUCKY DEVILS)」を持っている。このバンドで彼はリード・ヴォーカルとギターを担当している。ちなみにここでは16歳から始めたサックスは使用してないようである。サンフランシスコ付近のクラブで時々ライヴを行ってはいるが、まだレコード会社と契約にまで至っていない。
趣味はゴルフと野球。そして将来自分のレストランを所有するのが密かな夢だそうだ。
愛読書は「アラバマ物語」。好きな色は青。好きな映画は「SUMMER OF '42(邦題不明)」
●クリス・ヘイズ(CHRIS HAYES)
本名 クリストファー・ジョン・ヘイズ(CHRISTPHER JOHN HAYES)
担当 ギター、ヴォーカル
生年月日 1957年11月24日
出身地 イリノイ州グレート・レイクス
身長 5フィート8インチ
9歳の時初めてギターを手にした彼は、天性の才能で瞬く間に技術を取得していったそうで、時には教える側に回っていたこともあった。フォークからジャズまで様々なジャンルを弾きこなせるようになっていた彼はザ・ニュースに参加するまでに7つものバンドを渡り歩いていた。ちなみに最初に入っていたバンド名は「ザ・ラバー・バンド(THE RUBBER BAND)」つまり輪ゴムと呼ばれていた。
小さいときからずっとロックを聴いていたが、ある時を境にジャズにはまり、チック・コリアやマイルス・デイヴィスなどを聞くようになった。
「パンツ」というパンクバンドに所属していた彼は20歳の時、敬愛するブルース・シンガーのエスター・フィリップスの公演を見にヨーロッパへ旅立ち、帰国後、新たに自分が演奏できる場所を探してサンフランシスコ内のクラブを回っていた。そこでギタリストを探しているヒューイ・ルイスが彼に目を付け、ザ・ニュースの一員となった。バンドではギターとバック・ヴォーカルを担当の彼も、ヒューイ・ルイスの書いた詩に曲を付けたり、作詞をしている。
二人の息子を持つ彼の趣味はゴルフとフライ・フィッシングとピアノ。
お気に入りの映画は「カサブランカ」。好きな俳優はハンフリー・ボガードとジェームス・ディーン。好きな色は透明色などのすっきりとした色。
ヘビー・スモーカーらしい。
●マリオ・シポリナ(MARIO CIPPOLINA)
担当 ベース(1995年に脱退)
生年月日 1954年11月10日
出身 カリフォルニア州サン・ラファエル
身長 6フィート3インチ
トレード・マークである黒い革ジャン、サングラス、そしてチェーン・スモーキングにより「バッド・ボーイ」の愛称を持っているが、音楽への入り口はクラシックだった。
彼が生まれて初めてベースを握ったのは8歳の時である。
初めて参加したバンド※は「コッパーヘッド(COPPERHEAD)」。元「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス(QUICKSILVER MESSENGER SERVICE)」のギタリストだった兄のジョン・シポリナが参加していた。このバンドがレコード会社と契約する前、両親が彼(マリオ)にこのバンドを辞めるように言ってきたため、脱退することになる。その後、ザ・ニュースの他のメンバーも参加していた「サウンドホール」や、「テリー・アンド・ザ・パイレーツ(TERRY AND THE PIRATES)」、「ザ・ノヴァト・フランク・バンド(THE NOVATO FRANK BAND)」に参加した後、ザ・ニュースのメンバーとなる。
※ミッドヴェール・スクウェア(MIDVALE SQUARE)説もあり彼の兄ジョン・シポリナは1989年に死去。アルバム「ハード・アット・プレイ」は彼に捧げられている。ちなみに死因はドラッグらしい。
数こそ少ないが”ユー・クラック・ミー・アップ”等、彼もヒューイ・ルイスと共作で曲を書いている。
バンドの結成以来、メンバーは不動だったが、彼は1995年にロック・バンド「フェンス(FENCE)」に加入するためにバンドを脱退。そしてその後、「リズム・ツリー(RHYTHM TREE)」というバンドへ。ここではヴォーカルも担当していたらしい。現在は「クイックシルヴァー・ゴールド(CUICKSILVER GOLD)」というバンドに在籍。以前に兄が在籍していたバンドのトリビュートバンドということだ。
好きな俳優はポール・ニューマン。好きな映画は「時計じかけのオレンジ」。好きなスポーツはクロッケー。好きな色は黒と赤。
スパイがあこがれの職業だということだ。
●ビル・ギブソン(BILL GIBSON)
本名 ウィリアム・スコット・ギブソン(WILLIAM SCOTT GIBSON)
担当 ドラムス、パーカッション、ヴォーカル
生年月日 1951年11月13日
出身 カリフォルニア州サクラメント
身長 6フィート
音楽家の父を持っているも影響して、クラシックから音楽に入った。
皆から「お気楽(EASY-GOING)」と言われている陽気な男である彼がドラムを始めたのは12歳の時。
最初に参加したバンドはジョニー・コーラとマリオ・シポリナもメンバーの一員だった「サウンドホール」。バンドが解散すると「アンクル・チャーリーズ」でセッションを繰り返し、ヒューイ・ルイス達と出会ってザ・ニュースの一員になる。バンドの担当はドラムスだが、バンドを離れるとギターにピアノ、ベースも演奏する多才な人物である。彼の音楽に影響を与えたのはR&B、ロック、そしてジャズだった。
二人の娘がいるそうだ。
好きなスポーツは野球とゴルフ。メジャー・リーガーになるのが夢だ。好きな映画は「おかしなおかしなおかしな世界」。愛読書は「THE MICK(邦題不明)」好きな色は青。
●ショーン・ホッパー(SEAN HOPPER)
本名 ショーン・トーマス・ホッパー(SEAN THOMAS HOPPER)
担当 キーボード、ヴォーカル
生年月日 1953年3月31日
出身 カリフォルニア州サンフランシスコ
身長 5フィート9インチ
11歳でキーボードを始めた彼が最初に参加したバンドは「ラウンド・ザ・ベンド・ブルース・バンド(ROUND THE BEND BLUES BAND)」。ちなみに音楽活動歴は他のメンバーの誰よりも長い。「クローヴァー」にはヒューイ・ルイスより少し遅れた1972年に加入する。そしてその後今までずっとヒューイ・ルイスと付き合っていくことになる。クローヴァー解散後、クラブ「アンクル・チャーリーズ」のセッションに参加後、ザ・ニュースのメンバーとなる。
アカペラやコーラスでの低音部分を担当しているのは彼である。
友人と二人で録音スタジオを経営しているくらいなので、バンドのデモ・テープなどの編集も簡単にやってしまうそうだ。ちなみにマッキントッシュ派である。
現在の趣味は自転車とスキー。以前はパラグライダーや飛行機の操縦もしていたそうだが、危険だということで子供の為にあきらめたらしい。
ちなみに子供は二人、アエダンとミラがいる。
好きな映画は「黒いオルフェ」。好きな俳優はポール・ニューマン。好きな色はコバルト。
夢はトボガンそりをあやつること。
●ジョン・ピアース(JOHN PIERCE)
担当 ベース(1995年、マリオ・シポリナ脱退後に加入)
出身 カリフォルニア
5歳で音楽を勉強し始め、16歳ですでにスタジオで仕事をしていたという。そんな彼のことをヒューイ・ルイスは「セッション・キャット」と呼んでいるらしい。
スタジオ・ミュージシャンの彼は、1980年代中頃にオリジナル・メンバーのマリオ・シポリナが怪我をした際のツアー・メンバーの代役を勤めたこともあり、その縁で今回のメンバー加入となったようだ。
他のメンバー同様、ゴルフが趣味であるらしい。
マリオ・シポリナ脱退、ジョン・ピアース加入後初めての日本公演が1998年11月20日、大宮ソニックシティで行われた。その時のヒューイ・ルイスのメンバー紹介時、ジョン・ピアースはサポート・ミュージシャンと一緒の紹介だった。まだ正式加入というわけではないのだろうか?
クローヴァー&サウンドホール時代のメンバー |
クローヴァー時代
左から3人目がヒューイ・ルイス
右はじがショーン・ホッパー
サウンドホール時代
左はじがビル・ギブソン
左から2人目がマリオ・シポリナ
右はじがジョニー・コーラ