POP GEAR誌
1986年3月号記事抜粋
以下はすべてヒューイ・ルイスのコメントです。
●母親について
おふくろはヒッピーのはしりみたいな人だった。人と同じじゃ気が済まないタイプ。
●父親の薦めでヨーロッパ放浪の旅をすることにした訳について親父はこう言ったんだ。「お前ももう16だから、私があれこれ指示するのもこれが最後だろう。進路を決める前に1年くらいヨーロッパをぶらぶらしてきなさい」って。気が進まなかったよ。とにかく野球がやりたかったから。でも親父の最後の命令だったからね。ハーモニカを片手に、ヨーロッパ中をヒッチハイクして回ったんだよ。
●ヨーロッパ放浪でのハーモニカについてハーモニカの吹き方なんてほとんど知らなかったけど、放浪の旅というと、ハーモニカってのがイメージにぴったりだろ。ヒッチハイクをしていても、半日車が止まってくれないこともあった。そんなときはポール・バターフィールドになりきって、ずっとハーモニカを吹いていた。そうやって上達していったんだ。
●人前で初めて演奏した時のことについてスペインに居た時の事なんだけど、パスポートはなくすわお金は底をつくわで、少しは稼がなくちゃと思って道ばたでハーモニカを吹いていたんだ。そうしたらアート・スクールの学生が気に入ってくれて、家に泊めてもらうようになった。学校でいろんなバンドが出てくるコンサートがあった時、俺にも声を掛けてくれて、ハーモニカ一つで前座をやったんだ。椅子に座ってブルースを吹きまくったら、これが5000人の客に大受け。人前でプレイするのは初めてだったのに受けちゃったもんで、図に乗って次の日もういっぺん演ったんだ。そうしたら今度は全然受けないの。
●初めてのコンサートについてセビリアで友達になったコミュニストの連中が開いたコンサートが初めてで、そのときのギャラは150ドルだったよ。こりゃ大儲けだって喜んでいたら、連中に夕飯に誘われて、一緒にレストランに入ったんだ。全部で35人いたな。食事の勘定は、合わせて140ドル。奴ら俺のギャラで支払いを済ませて、「釣りの10ドルはお前のだ。」って返してくれた。俺は言ったよ。「なるほど、これが社会主義って代物か。ありがたく貰っておくよ。」って。その日から人のために働くのはまっぴらだって思うようになったのさ。
●大学を辞めた後、サンフランシスコに戻って造園業をした事について俺にピッタリの職業だったよ。太陽と土の商売さ。でも、結局の所失敗しちゃって・・・。
●イギリスではクローヴァーがまったくふるわなかった事について4年間もレコード契約の為に売り込みを続けてたからね。たとえイギリスの会社でも、俺達にしてみりゃ大喜びだった。ところがイギリスに渡ってみたら、ちょうどパンクの始まった時期で、カントリー・ロックの俺達なんてお呼びじゃなかったのさ。適材適所っていう言葉があるけど、俺達はその正反対だったんだ。
●音楽だけでは生きていけなかった不遇時代の事についてロンドンで1週間だけ百科事典のセールスマンをやったことがあるよ。お金の余裕もなければ読み書きのおぼつかないような連中に売りつけるんだから、ほとんど詐欺みたいなものさ。お宅の息子さんは読み書きがちゃんとできるように育てなければ、ってなことを言って、1週間のうちに2セット売ったものの、ひどく落ち込んでね。2件の家に電話して、「キャンセルしなさい。1週間はキャンセル可能です。」って言っちゃったよ。
●音楽にはルックスも流行も関係ないと気づいた事についてイギリスでわくわくしたのは、いかにもポップスって連中がいたことだね。成功するにはしゃれたヘア・スタイルと、よく通る声が無けりゃだめだと思っていたけど、それだけが条件じゃないって思い知らされた。それが、ニュースのサウンドの原点になっている。
●クローヴァー解散直後の事についてあの頃が一番きつかった。俺はただのハーモニカ吹きになっちまった。ハーモニカ・プレイヤーが1人でギグをやるなんて考えられないだろ?セッションは年2回しかないし、それじゃ食っていけるわけがない。
●アンクル・チャーリーズでのマンディ・ナイト・セッションで初めてリード・ヴォーカルを担当した事についてミスがあって俺がやる羽目になっちゃったんだ。シンガー呼ぶのを忘れてたんだよ。
●アメリカン・エキスプレスとして録音した”エクソディスコ”について気に入った仲間を集めて、ジョークのつもりで演ったんだ。
●ジェイク・リヴィエラに”エクソディスコ”を聞かせたときのことについて「こいつは驚いた!素晴らしい!こんなコマーシャルな歌、ここ何年聞いたことないぜ!」って言うんだ。
●フォノグラムと”エクソディスコ”のシングル契約を結ぶ際、ジェイク・リヴィエラに相談したときの事について印税11パーセントと前払い金3000ドルを提示しろって言われたよ。
●他のメンバーとの出会いについてマリオとビルとジョニーはクローヴァーのライバル・バンド、サウンドホールのメンバーだった。ショーンとはクローヴァー時代から一緒で、クリスは俺達のたまり場に出入りしていた新顔さ。ミュージシャンとしては、ずっとお互い意識し合っていたけど、このメンツで初めてジャムったのは、いつものメンバーが急な仕事で出かけたときだったから、全くの偶然だった。
●ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースというバンドについて業界紙の広告もオーディションも頼りにしないで、ごく自然に結成された正真正銘のマリン・カウンティ・バンド、それが俺達さ。俺達の場合、ヒューイ・ルイスとバック・バンドというんじゃなくて、本当にひとつにまとまったバンドなんだ。俺はリーダーだからインタビューを受ける。6人の人間がごちゃごちゃ言い合っているのより、1人の言っていることのほうがわかりやすいだろ?
●バンドとファンの関係についてバンドにはそれ相応のファンが付くものさ。幸い俺は俺達のファンが気に入っている。ファンにとって大事なのは音楽とアーティストとしての技能で、アーティスト個人じゃない。自分が好きになれるファンを獲得したかったら、曲の中に自分を出さなきゃ。それがロックンロールらしいやりかただろ?