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MUSIC LIFE誌
1987年9月号記事抜粋

 


大スターになっても、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは私達の側にいる。今一歩の所で、彼らの人間性が商業ロックに走るのを妨げている。そんな姿勢が変わらない限り、私達は彼らを応援し続けるだろう。今回の来日では、ちょっぴり趣向を変えて、ヒューイ・ルイスとジョニー・コーラの個別インタビューを試みた。いつもとは違った内容なので、今まで知らなかった彼らの一面がうかがえるはず。


 

★★ヒューイ・ルイス インタビュー★★

「フランケンシュタインってなかなかセクシーだろ?」

 

 金色の屏風の向こう側で、ML編集部の田中さんが、時間通りに現れたジョニー・コーラと静かにインタビューを始めている。屏風のこちら側では、編集部の東郷さん、このページ担当の伊東さんと、私の3人が、ヒューイが来てあのデガイ越えでしゃべったら、向こうのインタビューの邪魔になっちゃうんじゃない…などと話しながら遅れているヒューイを待っている。
と――。
「やあ、すまない。悪い!本当に、もうしわけない!!」
 入り口の方で例のダミ声がひびいてきた。と思ったら、来た、来た、来た、ヒューイが来た。とたんに部屋全体が騒々しくなった。
「悪いね、遅れちゃって。」
「そんなに謝らなくてもいいんですよお。遅く始まっても約束通り30分はいただきますから。」
 インタビューはこうしてニギニギしく始まった。

 

――ML誌ではもうずいぶんあなたのことを紹介してきているから、きょうはあなたのユーモア度をチェックしたいと思います。

OK!つまり僕がどんなにおもしろいかってことだろう?

――“すべてを君に”のビデオはなぜフランケンシュタインなの?

僕達にとっていいイメージだと思ったからさ。なかなかセクシーだろ?そう思わない?

――怖くて、おもしろいけど、セクシーとは思わないわ。

そこが僕のユーモアさ。(笑)アイディアはジェフ・スタインのもので、彼は以前から、フランケンシュタインを使ってミュージック・ビデオを作りたいと思っていて、僕達が誰よりもはまり役だと思ったのさ。で、僕としてもとんでもなくおもしろいアイディアだと思ってさ。大成功するか大失敗するかのどっちかだと思ったんだ。成功すりゃそれはそれでいいし、失敗してもちょうど休暇がほしかったからね。

――アイディアをもらって、すぐOKしたの?

いや、ちょっと考えたさ。でも、気に入ったのは、歌とまるで関係ないってとこだね、ストーリーが。いいビデオってのは歌とは全く違うストーリーをもってるんだ。

――フランケンシュタインの役作りはどうだった?むずかしかった?

いや、いたってシンプル。メイキャップしてくれるしね。化けたあとは楽だったよ。でも、ドクター・フランケンシュタインを演じるのは、ちょっと考えたよ。

――どのくらいかかったの?日程とか、費用とか。

5日間。メイキャップにはすいぶん時間がかかったよ。金は20万ドル(3千万円)。ずいぶんかかってるだろ?僕が払うわけじゃないからいいけどさあ。

――誰が払うの?

クリサリスがほとんど。おもしろいのはね、そのビデオの「メイキング・オヴ」があるのさ。それはテレビのショウ・タイムに売って、それで採算を合わせるわけなんだけどね。

――じゃ、「メイキング・オヴ〜」を見ればヒューイが、だんだんフランケンシュタインに変身していく姿がわかるわけね。マイケル・ジャクソンの“スリラー”のように。

メイキャップのシーンがおもしろいんじゃないかな。鏡の前にずっと座らされてさ。髪の毛から、まず、後ろに束ねて、ネットをかぶせ、それからいろんなものを顔にくっつけていく・・・。どんどん変わっていくところはおもしろいと思うよ。

――今回のツアーの様子もビデオに撮ってるでしょ?

それは単なるドキュメンタリーさ。

――売るの?

いや、まだわからない。それは、レス・ブランクって、アメリカのルーツ・ミュージックの記録映画を作らせたらNo.1の男がいるんだけど、僕は彼の仕事を尊敬していてね、今回のツアーのドキュメンタリーを頼んだんだ。カナダやフランス、イギリス、ニューヨーク、それに東京も。ずっと彼をひっぱりまわしている。ずいぶん撮ってるけど、最後に編集して一本の作品にするんじゃないかな、彼は。僕達は単にドキュメンタリーとしてとっておくつもりで頼んだんだけどね。

――あー、それで学校でも見せるかもしれないというわけね。

えっ、学校?

――そう。実はきのう、ビデオ・クルーが東芝EMIにいって会議風景を撮ったんですって。その時に、日本人って若く見えるでしょ、どう見ても15、16歳にしか見えない人がタバコを吸っているから、学校でこのビデオを見せた場合にまずいから、タバコを吸わないでくれって言っていたって。

ウソー!誰がそんなことを!?そんなことありえない、信じないよ、そんなこと!

――じゃ、確かめてごらんなさい。

(そこへ東芝EMIの担当ディレクター、角間氏が困ったように笑いながら、「クリスティーンが言ったよ」)

まさか、クリスティーンが!?彼女は人に無理矢理ウィスキーを飲ませるくらいなんだよ。(ここでヒューイは立ちあがり、屏風の向こうの、部屋の隅にいたロード・マネージャーのロルを呼ぶ)きいたか、ロル。レス・ブランク達が東芝に行って、子供達に悪い影響を与えかねないから、タバコを吸わないでくれって言ったって。

(ここでロルが部屋の向こうからやって来る)

[ロル]え?まさかぁ。彼らはあるがままの姿を撮る主義なんだよ。

そうさ、ウィスキーを飲んでたって撮るよ。ありえないよ、彼らがそんなこと言うなんて。

(この辺、ヒューイとロルと、角間氏と私達の声が入り乱れ、あーでもない、こーでもないと、うるさくなった。すると、金屏風の向こうから、ジョニーが――)

[ジョニー]おい、そっち!ちょっと静かにしてくれよ。ここでもインタビューしてるんだから!!(なかなかイライラした声)

――すみません。もー、いいわ。そのことは忘れましょう。

あー、でも、あとでちゃんと確かめてみよう。ドキュメンタリーはまだどこで見せるって決まってないんだ。

――じゃ、話を変えて――。“ヒップ・トゥ・ビー・スクウェアー”のビデオは、なぜマイクロ・カメラを使って、口の大写しやドラムの大アップを撮ったの?

そりゃ、僕達がバカげてるからさ。(笑)あれはね、ゴドリー&クレイム※のアイディアでさ。本当は僕達もいろんなアイディアを持ってたんだけど、なにしろヨーロッパ・ツアー中だったし、シングルが出るところで、すぐにもビデオが必要だったし、僕達の考えてるようにやったら撮影だけでさ3、4日はかかっちゃう。だから彼らに頼んでしまった。結果的にスペシャル・レンズを使ってライヴ・パフォーマンスを数回やって半日で終わってよかったんだけどさ。

※ゴドリー&クレイム=本名はケヴィン・ゴドリーとロル・クレイム。共にマンチェスターの出身で、'72年にエリック・スチュワートとグラハム・ゴールドマンと共に10CCを結成。後にデュオとして独立し、映像部門に進出。代表作はデュラン・デュランの“グラビアの美少女”他多数。

――本当はどんなアイディアを持ってたの。

歌がさ、風刺ソングだから、ビデオはおもしろおかしくやろうと思ってね。僕が考えていたのは、シェイプアップ・ジムかなんかでさ、僕達全員がワーク・アウトしてるんだ。筋肉モリモリのムキムキした男達に囲まれて。で、重量挙げをしようと思って僕達はハリキってみるんだけど、ひ弱な僕達にはぜんぜん上がらないんだ。これ、なかなかおもしろいセッティングだろ?この対照がさ。

――時間があれば、やりたかったでしょ。いつもビデオ作りに関しては、自分達はこういうものをっていう主張あるの?

始めたばかりの頃はバンドとしての主張をすることが大切だと思い、全員が主張したよ。一人一人の個性をフィーチュアするにはそれが必要だったからね。でも、5本も6本も7本もビデオを作ったあとはそれぞれのパーソナリティが確立されてくるから、そうなったら他の人間に任せるのもいいと思う。

――“スタック・ウィズ・ユー”は?

あれは僕とマネージャー、ボブ・ブラウンのアイディアさ。撮影はバハマ諸島のナッソーでやった。4日かかったかな。あれはね、プロローグがおかしいんだよ。つまり、南洋の孤島に行く前のカクテル・パーティーのところさ。「SPORTS」からずいぶん時間がたって、まだアルバムが出てない時で、ちょうど“スタック〜”が久々の新曲だったから、みんなどんなのができるのかって期待してたわけだ。で、そのプレッシャーを逆手にとって、わざとその部分を強調してギャグにする・・・、これがヒューイ・ルイス風ユーモアのセンスさ。かのカクテル・パーティーでイギリスのジャーナリストがいただろ?カメラの前に顔を突き出して「ハーイ、ヒューイ、アルバムはどんな具合かい?」ってイヤミにきく奴がいたろ?あれは、さっきのロルだよ。おもしろいだろ?彼はもともとイギリス人だし、パーフェクトなイギリス英語でジャーナリストの役を演じてくれたよ。

――マリオは海の中だったわね。

そう、マリオはシャークの役になったんだ。最後は背びれまでつけちゃってさ。

――マリオってユニークだけど、バンドの中で一番おもしろいのは誰?

ショーンじゃないかなあ。あいつはおかしい。何がって言えないけど、ちょっとしたジョークや、いるだけでもおかしい。

――以前、ビデオは好きじゃないって言わなかった?

いや、ビデオは時にすばらしい芸術になるけど、ほとんどがよくない。何回も言ってるけど、良書は映画より本の方がずっといいのと同じで、いい歌はビデオより歌そのものの方がいいってこと。だからビデオを作るならビデオそのものをコメディ化して楽しんじゃえばいいのさ。正直言って僕はビデオをマジに考えてない。だから遊びの精神で作ってるんだ。でも歌や音楽は大マジで考えてるからね。

――前に会った時は家族連れだったけれど、日本には奥さんとお子さんは?

娘はやっと3歳半、息子は2歳でまだオムツがとれない。家族と一緒にツアーしたいけど、オムツだうば車だオモチャだって、荷物が多くなるからね、今回はサンタバーバラにいるって。ムリないよ。

――2人のお子さんにとってどんなパパ?

イヤな父親だ。(笑)厳しいスパルタ・オヤジ。(笑)良い父親でありたいと思うけど、むずかしい。子供達といると楽しいけどね。

――音楽的才能を見つけたら伸ばしてあげる?

いや、即座につぶすね。(笑)彼らには弁護士と会計士になってもらうさ。

――なぜ?

金持ちになれるからさ。(笑)

 

(インタビュー終了後の会話)

――きのうの東京公演でスクリーンに映ったあなたを見て、少しアゴのあたりが太ったかな、と思ったんだけど、体重、ふえました?

うん、5ポンドばかり・・・。でも、もともと首は太いんだよ。

――カメラが下から撮ってたからで、そんなに気にしなくても大丈夫よ。変なこと言っちゃったわね、ゴメンナサイ。

そーだ、君が悪い!今夜スクリーンを使わなかったら、君のせいだ。(笑)

(インタビュー・文:山本さゆり)

 


 

★★ジョニー・コーラ インタビュー★★

「怒れる若者の心を保ち続けたい」

 

 実はインタビューが始まる前に不安に思っていたことがあるのです…。今回の取材はヒューイとジョニーの個別インタビュー。とは言っても取材部屋はひとつ。しかもそれほどダダッ広い部屋ではない。しかもついたて1枚で区切っただけ。しかもヒューイの声は人並みはずれでデカイ。もしかして…、と思っていたら、案の定、ついたての向こうで10分遅れでヒューイのインタビューが始まったとたんに、工事現場並の騒音が押し寄せ、ジョニーの声はおろか自分の声まで聞こえなくなってしまった。「ウルサイッ!」と怒鳴る訳にも行かず、困ったなあと思っていると、ジョニーも思いは同じだったらしく、「オ〜イ、ヒューイ、もう少し声小さくしてくれィ」とヒューイに声をかけてくれたが、早い話が、“焼け石に水”。しょうがないね、と嵐のような声の中でインタビュー再開。親切なジョニーは間違いなく声が入るようにと、しっかりとテープ・レコーダーを口元に当ててくれたのでした。

 

――昨日のコンサート、素晴らしかったですね。実は今だから言ってしまいますが、もしかしたら私にはもうトゥー・マッチなバンドになってしまったかと思っていたんです。(ここでジョニー、手を目に当てて泣くマネをする)あまりに大きくなり過ぎて、完全に商業ロックのノリだろうなって。でもあなた達はギリギリの線でスピリットを維持してる。そのギリギリのかけひきがすごいなって思ったんです。

ヨカッタァー!(笑)

――だけど、初来日の時のクラブでのギグと前回のNHKホール公演はホントーに感動的でしたよね。

ああ、あれ見たの?あのクラブの時は僕達エキサイトし過ぎて天井に頭をぶつけちゃったりしてね。(笑)NHKも良かった。あの位の広さが一番いい。一番後ろの人とまでコミュニケイトできるだろう。

――どんどんと巨大化していくミュージック・ビジネスをどう思います?

う〜ん、必要悪なんだよね。まあ、今に始まったことじゃない。ビートルズの頃からどんどん巨大化してるんだ。僕達も小さな所でできたらそれにこしたことはないけど、そうすると20日間連続でやらなきゃいけない。(笑)

――ところでセカンド・アルバム以降、自分達でプロデュースしていますよね?

レコード会社は初め他の有名なプロデューサーを使わせようとしてたけど、何人かとデモ・テープを作ってみて、この程度だったら自分達でできると思ったんだ。今後もこの方針はかわらないよ。だって僕達には自分達の音楽に対する確固たるポリシーがあるからね。他の人が意見をはさむ余地がないんだ。

――例えばプロデュースにしても曲作りにしても、みんなで手掛けているから意見の食い違いがでてくるでしょう?そういう時は決定権はヒューイにあるんですか?

いや、誰にもないんだ。(笑)とにかくとことん納得するまで議論して、それでもダメな時はマネージャーに決めてもらう。

――ジョニーの場合、ロックにのめり込んだキッカケは何だったんですか?

やっぱりビートルズだね。両親がコンサートに連れて行ってくれたんだ。そのあと13歳の時にストーンズを見て、それから“ああいう風に演れたらいいな”って思うようになった。

――その頃から将来はロックン・ロール・スターになろうと思っていましたか?

いや、スターになれるなんて思ってなかった。ただ、曲を書けるようになって、友達と一緒にステージで好きな曲をプレイできれば、それでいいと思っていたんだ。それで食べていければ、こんなに凄いことはないってね。まさかこんな風に成功するとは夢にも思わなかったよ。(笑)

――普通あなた達くらい成功したスーパーグループになると、何年かに1度しかツアーに出ないとか、アルバムも滅多に作らないとか、優雅に暮らしてますよね?でもあなた達は相変わらず年に2百回以上コンサートをやっているんでしょう?(笑)

イヤ、実は9月から僕達もスターらしい優雅な生活を始めようと思ってたとこさ。っていうのは冗談なんだけど、9月から3〜4ヶ月休みがもらえるんだ。バンドを始めてから初めてのことだ。この間はバンドのことは忘れて、ゆっくり休んで家族と時間を過ごすつもりさ。

――もしもあなた達がもっと若い時に成功していたら、世界観は変わっていたかしら?

21〜22歳で簡単に成功していたら、きっとその成功や名声に振り回されて、自分自身を見失っていただろうね。まあ、あえて名前は出さないけど、そういう人達って多いと思う。

――例えば昔は富も名声もなかったけれどそれでも“ああ、昔は良かった”なんて思うことあります?

う〜ん、みんなが言うことだけど、登り坂は下り坂より充実しているんだ。総てがチャレンジであり、総てが新鮮だ。まあ、僕達は楽な状況にドップリ浸ってしまいがちだけど、35歳になっても怒れる若者の心を保ち続けたいと思っているよ。

――最後に各々のメンバーのパーソナリティを一言で言ってみてもらえますか?

クリスは一番若くて可愛いから女の子にもてる。マリオはバッド・ボーイ。ショーンは忘れっぽい。ビルはバンドのバックボーン。で、ヒューイは明らかにヴォーカリストだね。だからここにいてもこんなに声が聞こえる。(笑)

(インタビュー・文:田中千代子)

 


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