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東京新聞1985年12月14日(土)夕刊

 


「ずーむあっぷ」

米のロックに危機感 ヒューイ・ルイス

 映画「暴力教室」の主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の大ヒットで、ロックンロールブームが起きてから、今年で三十年。しばらくイギリスのテクノポップに押され気味だったアメリカでも、伝統のロックンロールがまた息を吹き返しつつある。その代表格がヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ。このほど行った初の来日公演も、ストレートなロックンロールにファンがわいた。
 アメリカでは何年かおきに骨太なロックが復活して世界のポピュラーをリードする。ヒューイもその期待を担う一人だ。
 だが、「ロックンロールがリバイバル?そうならいいんだが、むしろ臨終だ」と表情を曇らせた。
 「今、アメリカのレコード会社はイギリスやオーストラリアで売れているグループと契約してばかり。アメリカのバンドには見向きもしない。ロックンロールはアメリカの伝統音楽だが、もうアメリカからは生まれないだろう」
 「いい例が我々。百マイルしか離れていないロサンゼルスのレコード会社には契約してもらえず、六千マイルも離れたイギリスの会社と契約せざるを得なかった」
 「ロックンロールはアメリカの心」と歌いながら、ここ二、三年、アメリカのヒットチャートをイギリスなどのグループに独占され続けていることがいかにもはがゆいようだ。
その原因を「イギリスのレコード会社は才能のあるミュージシャンを発掘し、育成し、自分も腕まくりしてバンドと一緒に音楽をやるという姿勢があるからいい音楽ができる。アメリカの会社は音楽よりビジネスが中心になってしまった」と説明する。
 ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズは、八三年発売の「スポーツ」が七百万枚の大ヒットとなってスーパースターの仲間入りをしたが、デビュー前に地方回りの下積み生活をしているせいか、アメリカの新人バンドの置かれた状況を嘆く。
 「ブルース・スプリングスティーンは幸い早くから大手のレコード会社と契約していたから成功できた。我々も幸いイギリスの会社と契約できて成功した。でも、今アメリカにたくさんいる第二のブルース、第二のヒューイにはもうそういう可能性はないんだ」
 今回同行したタワー・オブ・パワーの五人は、かつて西海岸で活躍したグループだ。だが、彼らは、今レコードの契約すらないという。
 ことしは、ポピュラー音楽家の社会活動が目立った年だった。アフリカの飢餓救済のためのUSA・フォー・アフリカ、ライブ・エイド。
 だが、ハイスクールを卒業後、一人でヨーロッパやアフリカを放浪したということがあるという、この人はライブ・エイドには出なかった。
 「USAは素晴らしかったが、もっと救済の趣旨を言葉で訴えるべきだった。ライブ・エイドに至っては自分の新曲を売るために出たような人もいたから、私は出なかった。『ちょっと待ってくれよ』といいたかったんだ」
 スーパースターとしての責任感がのぞいた。

(篠崎 弘記者)


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